2015年 12月 08日
中澤ゼミ紹介〈2015年秋の博物館見学・フィールドワーク編〉 中澤 克昭 ゼミでは、遺跡や博物館、伝統行事(神事・祭礼)の見学なども行っています。2015年の秋(11月21日)には、神奈川県立金沢文庫の特別展「国宝 一遍聖絵」(主催:遊行寺宝物館・神奈川県立歴史博物館・金沢文庫)を見学しました。また、同文庫に隣接する称名寺の境内を歩き、境内絵図や中世石塔の見方について学びました。参加者代表2人の見学記です。 「国宝 一遍聖絵」展をみて 日本中世史専攻3年 杉山 誠 実物の一遍聖絵を観てまず初めに感じたことは、その色彩や情景描写が非常に豊かで、一遍が実際に遊行を行った時期と同時並行的に描かれたのではないかというほどの写実性を帯びていることです。聖絵は、一遍の弟と伝えられている聖戒により書かれた詞書と画僧円伊によって描かれた絵により構成された全12巻の絵巻物で、一遍入滅後に制作が開始され、完成まで約10年の歳月が費やされました。描かれている風景(田園風景や寺院・神社の描写)や人々の姿(門の外に座る乞食、病者など)は、とても現実味にあふれていて、私には聖戒及び円伊がこの情景を実際に眺めたとしか考えることができませんでした。 また、私は巻二に描かれた一遍と聖戒との別れの場面に注目しました。この場面には聖戒の姿がはっきりと描かれていて、私は聖戒の当時の年齢の推測を試みました。実は聖戒については、出自、行動など多くの部分が不明なままであり、彼の年齢についても研究者のなかで諸説あるからです。聖戒の年齢を記した『開山弥阿上人行状』という後世の史料によると、聖戒は当時14歳ということですが、私には14歳の少年には見えず、20歳前後の青年のように思えました。 実物の史料を観ることによって初めて分かることや新たに考えつくことは多くあります。そして、聖絵には中世の人々はどのような姿をしていたのか、中世にはどのような景観が広がっていたのかなど、中世の社会情勢を知る上で重要な要素が多く含まれていました。中世の絵巻物、そして当時時衆などの新興宗教がどのような見方をされていたかを記した史料を観ることができたのは、私にとって貴重な経験でした。 【「国宝 一遍聖絵」展】 称名寺の境内を歩いて 日本中世史専攻2年(プレゼミ) 武内 純 今回、ゼミの見学で称名寺と境内にある金沢文庫を訪れました。鎌倉四境の一つで、外港としても重要だった武蔵国久良岐郡六浦庄金沢(横浜市金沢区)を領した北條氏の一族が、北條氏金沢流(金沢氏)でした。その祖である北條実時が、母の菩提を弔うために建立したのが称名寺です。称名寺は北條氏の崇敬をうけて栄え、全国に広大な寺領を有しました。 14世紀に描かれた境内絵図を見ながら歩いたり、中世に建立された石塔を目の当たりにして、長い時間を経て当時とは異なっている部分もあるにしろ、道が曲がりくねっている様子を当時の人々はこのようにとらえたのだなぁとか、歩いてきた方向や石塔が描かれている位置からして自分たちは今絵図のここにいるのだなぁといったことを実感しました。まるで遠い時代の人々と今自分が目にしている風景を共有しているかのようで新鮮でした。周辺が現代の様に開発されていなかった頃の称名寺は、また現代に遺る姿とは異なった趣で、より一層神秘的あっただろうなとも感じました。 絵図を見ただけではわからなかった実際の境内の広さやそこで吸う空気は、日頃、本で触れている日本の中世を、自分にとってより身近な存在にしてくれました。これからも、様々な歴史ある場所に出かけ、自分の身体で史料を体験してみたいです。 【称名寺境内(復元整備された庭園)にて】
by history-sophia
| 2015-12-08 10:19
| 教員・学部ゼミ紹介
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